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『兵庫県神道青年会』とは、兵庫県内の40才未満の青年神職によって構成されております。
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ジョン ブルース ドット(アメリカワシントン州)が、母を亡くし自分を男手ひとつで育ててくれた父

ウィリアム ジャクソン スマートに感謝し、1909年の父の誕生日6月19日(第三日曜日)に礼拝をしても

らったことがきっかけとされています。

1916年アメリカ合衆国大統領ウッドロー・ウィルソンの時に父の日が認知されるようになり、1972年ア

メリカでは国民の祝日として制定されました。

我が国では1950年代ごろから知られるようになりました。
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1951年(昭和26年)に署名された日本国との平和条約『サンフランシスコ平和条約』では、日本の主権は認めながらも沖縄はアメリカ合衆国の政権下に置かれるものとされ、1952年(昭和27年)4月28日に発効。

アメリカは琉球政府を置き、公選の議員で構成される立法機関を設けるなど、一定の自治を認めたが、最終的な意思決定権はアメリカが握ったままであった。

1950年に朝鮮戦争、1959年にベトナム戦争がおこり、アメリカは施政権下においての琉球自治から軍事基地としての重要性の方向に変わっていく。

佐藤栄作政権は1970年(昭和45年)に予定される日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約延長と共に沖縄の本土復帰を緊急の外交課題としたが、70年安保延長反対を唱える日本社会党や日本共産党は安保と同列の沖縄返還論に反発し、反安保・反返還の運動を日本国内で繰り広げたが、住民の真意とはかけ離れたものとなった。

1969年(昭和44年)の日米首脳会談でアメリカ大統領リチャード・ニクソンが安保延長と引き換えに沖縄返還を約束したが、公選の行政主席である屋良朝苗や復帰賛成派の県民の期待とは裏腹に米軍基地を維持したままの返還が決定。
1971(昭和46)年6月17日に宇宙中継によって東京とワシントンで「沖縄返還協定」結ばれ、1972(昭和47)年5月15日午前0時をもって発効し、沖縄の施政権がアメリカから日本に返還され、沖縄県が誕生した。
『母の日』とは、日頃の母の苦労を労り、母の恩に感謝する日です。

その起源は様々ですが、日本では、昭和時代(戦前)に皇后(香淳皇后)の誕生日である3月6日(『地久節』戦前の祝日の一つで、皇后の誕生日を祝う日。『天長節』(天皇誕生日)と異なり、国の祝祭日として勅令で定められることはありませんでしたが、女学校等において休日として祝われました。また、昭和6年(1931)の大日本連合婦人会の結成とともに地久節が母の日に定められ、昭和戦前期を通じて祝われました。)に行われていましたが、1949年頃からアメリカの例に倣って、5月の第2日曜日に行われるようになりました。

南北戦争中、アメリカウェストバージニア州に、「母の仕事の日」(Mother's Work Days)と称し、敵味方問わず負傷兵の衛生状態を改善するために地域の女性を結束させたアン・ジャービスという女性がいました。

ジャービスの死後2年経った1907年5月12日、アメリカ・ウェストバージニア州で教師をしていた娘のアンナ・ジャービスが、亡き母親を偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会をもち、カーネーションを贈りました。

ジャービスの母への想いに感動した人々は、母をおぼえる日の大切さを認識し、翌1908(明治41)年の5月10日、同教会に470人の生徒と母親達が集まり最初の「母の日」を祝いました。アンナは参加者全員に、母親が好きであった赤いカーネーションを手渡しました。

このことから、赤いカーネーションが母の日のシンボルとなったのです。アンナ・ジャービスは友人たちに「母の日」を作って国中で祝うことを提案。1914年に「母の日」はアメリカの祝日になり、5月の第2日曜日と定められました。
毎年5月5日『こどもの日』の祝日は、昭和23年(1948)7月公布・施行の祝日法によって制定され、端午の節句、菖蒲の節句ともいいます。

端午の節句は、五節句の一つであり、男子の健やかな成長を祈る風習があります。もともとは旧暦5月5日に祝われましたが、今日では新暦の5月5日に祝われます。

旧暦では午の月は5月にあたり、この月の最初の午の日を節句として祝っていたものが、のちに5が重なる5月5日が端午の節句の日になったといわれます。
「端」とは「始り」という意味で、もともと「端午」とは月の始めの午の日のことでした。後に「午」が「五」に通じることから5月5日を「端午の節句」と呼ぶようになったともいわれます。

この風習は、3世紀の中国で始まったとされ、邪気を祓い健康を祈願する日とされ、菖蒲酒を飲んだりする風習がありました。菖蒲は邪気を祓う作用があるとされ、現代の日本においても菖蒲湯に入る風習が残っています。(※ここでいう菖蒲はサトイモ科に属し、普段観賞されているのはアヤメ科に属します)

鎌倉時代、「菖蒲」が「尚武」と同音であるなど、端午は男の子の節句とされ、男の子の成長を祝い健康を祈るようになりました。鎧、兜、五月人形などを飾り、鯉幟を立てて祝われます。鯉幟は中国の故事にちなみ、出世を祈願しています。

粽(ちまき)や柏餅(かしわもち)を食べる風習もあり、粽を食べるのは、中国の詩人屈原の命日である5月5日に、国家試験に不合格であったことを悔やみ身を投げた河に粽を投げ入れ供養したことが由来とされます。
柏餅を食べる風習は日本独自のもので、柏は新芽が出るまで古い葉が落ちないことから「家系が絶えない」縁起物として広まりました。
社会福祉活動『献血運動』のご案内

 皆様のあたたかいご協力、宜しくお願い申し上げます

日時 平成20年4月7日(月曜)午後0時半より午後3時まで
    (兵庫県神道青年会 第41会定例総会開催日)
場所 湊川神社(神戸市中央区多聞通3-1-1)神門前にて

尚、献血基準の厳正化により、献血日よりさかのぼり三日以内に薬を服用されました場合、ご協力頂くことが出来ません。ご理解宜しくお願い申し上げます。また、神道青年会会員の方は、午後2時までにお越し下さい。
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